アデリン・ペンギンの南極探検の歴史と氷床縮小リポート
みなさぁ〜ん、こんにちわぁ〜〜。
南極からリポートするアデリンでぇ〜す。聞こえていますかぁ〜?
えっ、大声ださなくてもいいの?
なら、先に言ってよね。
じゃ、最初からね。
皆さんこんにちは。
2005年の春真っ盛りの南極からリポートするアデリンです。
今日は、今日の地球画像(なんか変)が制作を忘れていたらしくて、急遽、僕たちに記事の送信を依頼してきたので、予定外の南極リポートです。
急にリポートしろたって、できるわけないしぃ〜困るんだよね。
仲間を隠し撮りしたけれど、見つかってカメラを取り上げられちゃうし・・・
画像のない今日の地球画像というのも騙しになるし・・・
でも、これからも南極について取り上げてもらって僕らの環境をみんなに考えてもらいたいので、今日は、え〜と・・・最初の南極探検、スコットの最後の探検などの記録画像で、南極世界についてお話をしたいと思います。
アーネスト・シャクルトン卿が、不幸なエンドランス号で出帆するほぼ20年前の1897年8月に、クルーと科学者の国際グループは、ベルギカと呼ばれて補強された捕鯨船で南極大陸に向かってベルギーのアントワープを出発しました。
翌年の春、彼らの船は、変化する危険な積氷で動けなくなりました。
しかし、船長のアドリアン・デ・ジェルラシュは、そのような過酷な世界の状況を好機として歓迎しました。
彼のクルーは、南極大陸で冬を過ごして、南極気象学について初めての一年中の測定値を作りました。
けれどもそれは、彼の信頼できる船が、1年の全期間氷の世界に閉じ込められ、クルーが必死になって氷を砕き溝を作って水の世界に解放されるというデ・ジェルラシュが予測しなかった事態もありました。
探検隊はかろうじて災難を回避して、国際クルーの2人を除いた他のクルーは、1899年に無事に帰国できましたが、船は生物学の見本と岩石のサンプルで水面すれすれになるまで重くなっていました。
結果として、彼らの探検は、南極大陸で最初の科学的な遠征になりました。
探検と調査の世紀が、その後に続きましたけれども、いわゆる第7の大陸についてはそれでもなおまだ未知のままです。
今日、地球温暖化に関して広がる懸念の反応としての注目は、南極大陸の最も明らかな特徴であるその氷に集中しています。
アメリカの地質調査データ表によると南極氷床は、世界の中の氷の最大の量と規模で、地球の淡水の70パーセントを貯蔵し、それらの氷が全て解けたならば、地球の海面が65メートル以上も上昇します。
もし、南極氷床が縮小しているならば、それは海面の重大な上昇を引き起こす可能性があります。
衛星データの出現以前に、科学者は、南極大陸の変化する氷床のモニターでは、まばらな場所での測定値だけしか持ち得ませんでした。
1950年代以来、現地の関係者は、氷床の中間から海岸へ流れる氷河に棒を打って、棒の変化する位置を決定していました。
南極大陸は、およそアメリカ合衆国とメキシコを統合した広さで、また、極寒の冷凍大陸上で現地調査を行う挑戦は、厳しさの極みで、モニターできる氷河の数を制限しました。
しかし、最近の衛星によるデータは、南極大陸の新しい眺めと南極の莫大な氷床が、どのように将来の気候変化で応答する可能性があるかを提供します。
私たちが忘れがちなことがあります。
それは、かつての南極は、温暖な気候に恵まれた自然豊かな大陸だったということです。
現在の南極にその面影を見ることはできませんが、極寒の大陸でも氷は確実に溶けます。氷の大陸が古代の自然豊かな大陸に戻るとき、私たちの陸地は、海底になります。
古代の南極大陸を見るか、極寒の大陸を維持し私たちの居住地を陸地のままにしておくかの選択は、私たちの子孫にあるのではなく私たちの世代が握っているのです。
私たちの快適さが、極寒の大陸の氷を溶かします。
極地の氷が解け続けるのを止めるのは、地球環境と真摯に向き合う惑星地球の知的生命体の全姿勢です。
南極の氷の冷たさが足に伝わりだしたアデリン・リポートの続きは、下記のリンクでお読みください。お宝画像もあるよ。
南極リポートするアデリン・ペンギンの 今日の地球画像 2005年10月20日号 詳細ページ
次は、事前に声をかけてよね。心の用意ってものがあるんだからさぁ。