激流に架かる橋の底を沈みながら通過した船の物語
今日の地球画像は、橋と激流のコンビに挑んだタグボートです。
激流に沈む船で橋の底を通過した場合には、まず間違いなく、生還の保障がありません。
1979年4月、アラバマ州のデモポリスにある古い雄鶏橋で信じられない出来事が起こりました。
沈み行くタグボートの船長は、初めから終わりまで、片時も離れることなくボートに乗っていました。
船長は、タグボートが艀を伴っていては、橋に激突し撃沈すると判断し、艀を切り離すと共に艀に乗員を移動させました。
船に残った船長は、正面のワイヤーを取り外そうとしましたが、もつれていて船が、激流の川に掛かる橋の下へと引きずり込まれました。
一部の地方局が、ちょうど偶然にカメラを向けているときに『まさか』の出来事が起こりました。
デモポリスは、アラバマ州の西端でテネシー州に隣接した小さな町です。
その町には、テネシー・トムビグビー水路が通っていて雄鶏橋は、水路のカーブしたところに架かっていた古い橋でした。
1979年4月28日は、極端な満潮などのため堤防すれすれまで増水し、激流になっていました。
タグボート・カホーバの船長は、跳開橋(ちょうかいきょう)を通過して下流で艀をつかまえようと雄鶏橋の東側で4台の艀を離しました。
タグボートのパイロットは、2人の甲板員が艀と繋いでいる安全線、ウインチワイヤなどを取り去るのを手助けしました。
4台の艀は、流れに身を任せながらも無事に橋の跳開部を通ることができました。
しかし、船長は、激流を過小評価して、あまりに橋に近くなりました。
そして、何かの理由で、右舷の牽引ワイヤーを除いて、全ての装具が離れました。
このワイヤーが、橋の下でタグボートの右舷を引き、それが切れたとき、船は、ポップアップして橋鋼に掛かりました。
激流は、容赦なくタグボートを橋で押しつぶすように襲い続けました。
船長は、船を跳開部に走らせようと懸命に操縦していました。
しかし、船長は行き詰まり、タグボート・カホーバは、橋に船尾から左舷を横たえました。
橋綱に絡みついた船のワイヤーの引きと激流で、船は、ついに右舷から横倒しになりました。
激流と橋の間で、船長は逃げるまもなくまた、体勢を立て直す術もありませんでした。
船長は、船に閉じ込められたまま、船と共に水路の激流に沈み始めました。