ナスカ・ライン、ナスカの地上絵考察 その3

 今日の地球画像は、ナスカ・ライン、ナスカの地上絵考察その3です。
 多くの学者たちのこれまでの研究成果の取りまとめのような構成にしました。

 えっ?
 画像と説明が一致しないとのご意見ですか・・・
 それは、困りましたね。

 でも、この華麗な演舞をしている鳥の愛称は、『ナスカ』さんです。
 見事に一致していませんか?

 前説は、これくらいにして、本論に入ります。
 この演舞している鳥を主題にした隠れた意図をご高察ください。

 ナスカ・ラインの景観特徴は力を吹き込むという理論は、ナスカ族の跡を継いだインカ族の伝承に基づいています。
 それ故に、インカのセクエ・システムに対する先駆者として位置づけされることがあります。
 *セクエ(ceque)とは、インカ言語の中のケチュア族の語で、線または境界のことです。

 ニューヨーク州ハミルトンのコールゲート大学の天文学者で人類学者のアンソニー・アヴィーニは、ナスカ・ラインと以前にインカの首都クスコのセクエ・システム(体系)の研究で、2つの間で類似性を見つけました。
 都市は、4本の車道または街道でインカ族王国の最も遠い外の地域へ導かせます。
 また、スペインの編史家によれば、車道の各々は、セクエと呼ばれる41の想像上の直線内に横たわっていました。
 そのセクエ・システムは、コリカンチャ、クスコの寺院、インカ宇宙の中心から外へ放射していました。

 たくさんのセクエの最後の古墳は、クスコの地下潅漑システムの地下水源にありました。
 クスコのセクエ・システムは、多くの働きを持っていました。
 ひとつには、各古墳が年の日を定める農耕のカレンダーでした。
 また、セクエも天文視界線として作用しました。
 例えば、南西にある四半部の13個のセクエでの3番目の古墳は、2本の目印を伴った大きい丘から成りました。
 太陽がそれらに達したときが、種をまく時節でした。
 インカ族は、それらの環境を耕作の時計に変えました。

 それらは、また、しばしば巡礼の道であって、彼らの社会の異なる社会階級を兼ね備えていました。
 彼らは、貴族、準貴族または一般人のそれぞれ一致する地位の階層で集団になって、定められた古墳を崇拝し手入れをしていました。
 セクエには、そのような役割もありました。
 ドイツの数学者マリア・ライヘが作ったナスカ・ラインの地図を用いてアヴィーニのチームが、クスコのセクエ・システムとナスカ・ラインとを比較した時に、ナスカラインがまた、『放射線中央』から自転車のホイール・スポークのように外へ放射する傾向があると気付きました。

 ナスカ・ラインは、それよりも古い形式のインカのセクエ・システムに基づいたということなのでしょうか?

 古代ナスカの人々は、ナスカ・ラインを理解するのにあまりに複雑な遺産を残し、また、あまりにも遠い昔の時代について難解な『言葉(図形)』で語りかけています。
 ナスカ・ラインの遺産は、古代ナスカの人々が持っていた文化に対する私たちの想像力を虜にします。

 ナスカ・ラインの図形の研究に50年以上もの人生を捧げたマリア・ライヘは、次のように述べています。
 私たちは、全ての謎の答えを知るとは限らないでしょう。
 それが、素晴らしいミステリー(謎)の肝心なところです。


 ナスカとインカを結ぶ謎解きの 今日の地球画像 2005年11月16日号 詳細ページ