洗練された首相の挨拶と素直な気持ちの小学生の命に対する姿勢の比較

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広島「原爆の日」の首相式典挨拶

今から61年前の今日、原子爆弾の投下により、十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃虚と化しました。本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に、心からお見舞い申し上げます。

政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。昨年秋からは、在外の被爆者の方々が我が国の在外公館を通じて手当の申請ができるよう制度改正を行ったところです。今後とも、被爆者の方々の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進してまいります。

広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しています。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。

私は内閣総理大臣として、平成13年以来過去5回ずつ、広島と長崎の両方の犠牲者に対する慰霊・平和祈念式典に参列してまいりました。我が国は人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継いでいく責任があります。広島、長崎の悲劇は、いずこにおいても再び繰り返されてはならないとの決意の下、我が国は、戦後61年の間、不戦の誓いを体現し実行してきました。

私は、ここ広島において、本日の式典に臨み、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、今後とも、憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立ち続けることを改めてお誓い申し上げます。

終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。

平成18年8月6日 内閣総理大臣 小泉純一郎


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「こども代表・平和への誓い」

昭和20年8月6日、午前8時15分。一瞬にして広島の街は何もかも破壊されました。原子爆弾は、高温と爆風で人々をおそい、さらに死の放射能で街を汚染していきました。そして、その年の終わりまでに約14万人もの命が失われました。14万の夢や希望、未来が奪われ、数え切れないほどの悲しみが生まれたのです。

平成17年11月22日。私たちの身近なところで、とても悲しい、辛い事件が起きました。その事件によって、私たちが当たり前だと思っていた日常は壊れてしまいました。好きな友だちとおしゃべりしながら登下校したり、一人で外へ出ることもできなくなりました。そして、私たちは事件を通して、一つの命の重みを知りました。

この時奪われた命も、原子爆弾や戦争で奪われた多くの命も同じ命です。一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものであり、その人を必要としている人のものでもあるのです。

「平和」とは一体何でしょうか。

争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。
安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。
今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も「平和」なのです。

世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。

そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。

私たちはこれまで、祖父母や被爆者の方から体験を聞いたり、「平和」について学習したりする中で、原爆や戦争のことについて学んできました。しかし、まだまだ知らないことがたくさんあります。これからもヒロシマで起きた事実に学び、それを伝えていかなければなりません。

私たちは、命を大切にし、精いっぱい生きることを誓います。

私たちヒロシマのこどもは世界中の国々や人々との間の架け橋となり、「平和」の扉を開くために一歩一歩、歩み続けていくことを誓います。

平成18年8月6日

こども代表 

広島市立南観音小学校6年 新谷望

広島市立楽々園小学校6年 スミス・アンジェリア


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